| A. |
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ハンドル名:岐阜好き一宮市民 [お風呂利用・2桁] 日時:2007/12/30(日) 07:35 |  |
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| | あれは、ホンマのようです。私も見ていましたが、きちんとした資料で確認したわけではないので、言い切ることはできず、すみません。 私は、「身体を売って、生活していかなければならない」、という悲しい話と、「悲しさを乗り越え、幸せになった」、というサクセスストーリーでもあった、と思います。今では、考えられない話ですが…。
ちなみに、金津は?、というと、あの手のしごきがあったかどうかはわかりせんが、元々は、柳ヶ瀬(西柳ヶ瀬地区)にあったそうです。その後は、手力に移り、戦後、今の位置(JR岐阜駅南口、加納水野町地区)に移ったそうです。 |
| A. |
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ハンドル名:絶対巨人主義 [お風呂利用・3桁] 日時:2007/12/30(日) 08:14 |  |
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| | あれは、実際のおいらんを基に作ってあります。泣けましたね〜。今度東京に行ったあかつきには、浄閑寺に行ってきます。 おいらん道中は、是非復活してもらいたいです。金津でも各店のNo.1集めてやってみたらどうでしょうか? |
| A. |
ハンドル名:シネマスター [お風呂利用・未経験者] 日時:2007/12/30(日) 11:28 |
| | 1987年公開の名取裕子版のほうが、裕子さんをはじめ、女優さんたち脱ぎまくりで、見ごたえがあったように感じられますが。今でもずりネタにしています。 |
| A. |
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ハンドル名:口入れ屋 [お風呂利用・2桁] 日時:2007/12/31(月) 01:42 |  |
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| | え…他に誰が脱いでるんですか? |
| A. |
ハンドル名:シネマスター [お風呂利用・未経験者] 日時:2008/01/01(火) 21:04 |
| | 二宮さよ子さんです。新人娼婦役の名取さんに、性のテクニックを裸になって教え込む場面は何度見てもヨダレが出ます。堀之内あたりの高級店の講習員さんもこんなふうに頑張っていらっしゃるんでしょうね。 |
| A. |
ハンドル名:口入れ屋 [お風呂利用・2桁] 日時:2008/01/02(水) 01:44 |
| | なるほど…ツタヤで借りてきて見てみます。 |
| A. |
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ハンドル名:ピケ [お風呂利用・2桁] 日時:2008/01/02(水) 06:29 |  |
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| | 吉原は江戸時代は遊郭というだけでなく代官や商人の社交場だったそうです。かの水戸光圀も相当な遊び人で馴染みの遊郭に入りびたっていたそうです。将軍綱吉や吉宗も、お忍びでかよっていたらしいです。あとドラマでは軽い表現でしたが、足抜けすると水車に縛りつけられて水攻めにされたり、百叩きにされるそうです。 |
| A. |
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ハンドル名:金津親父 [お風呂利用・4桁] 日時:2008/01/03(木) 04:00 |  |
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| | 少し文献を紐解いた所では「遊郭」のイメージが先行しているだけで、江戸時代の経済的中核でもあった様で炎上も事実ですが、遊郭そのものからでなく金融街からの延焼が硬い話しの様です。詳しくは徳川美術館へ |
| A. |
ハンドル名:hot [お風呂利用・3桁] 日時:2008/01/04(金) 16:27 |
| | 吉原に行って昼間で閑があれば三ノ輪駅の近くの浄閑寺や、仲之町通り沿いの吉原神社にもご参拝を。 花魁道中 http://www.city.taito.tokyo.jp/index/000013/041360.html |
| A. |
ハンドル名:予備役(KWも部分的に炎上しとるな) [その他・男性] 日時:2008/01/05(土) 22:35 |
| | 浄閑寺は荒川区にあるんですね。 吉原は東京大空襲の時は炎上しなかったのかな? |
| A. |
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ハンドル名:金津親父 [お風呂利用・4桁] 日時:2008/01/06(日) 03:25 |  |
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| | 『吉原炎上』とはスレ主殿は多分昨年末のTVドラマを見てのレスでしょうが1/5付 の『東京大空襲』とは全く時期は異なります。東京の事ならボチボチ吉原太郎氏が回答下さる時期では? |
| A. |
ハンドル名:匿名 [お風呂利用・2桁] 日時:2008/01/06(日) 10:29 |
| | ちなみに『吉原炎上』は、江戸時代ではなく明治末期。 1911年の「吉原大火」をベースに作られたもの。 吉原ってたしか江戸時代だけでも10回ぐらい炎上してるんじゃなかったけ? で、そのたんびにゾンビのごとく甦って来たと。 |
| A. |
ハンドル名:口入れ屋 [お風呂利用・2桁] 日時:2008/01/07(月) 03:24 |
| | 明治や江戸どころか10年位前の今頃の時期でしたっけ?火事になった店あるんでよね?確か新聞に写真が出ていた気がする… 小雪が舞い散る中、裸で焼け出された客の写真だったような… |
| A. |
ハンドル名:デルタブルース [お風呂利用・1桁] 日時:2008/01/12(土) 14:14 |
| | 少し意味は違うかも知れんけど...この先1〜2年の内にあるかも知れんよ。週刊誌の記事でどこまで本当かは判らんし根も葉もないでっち上げかも知れんけど、警視庁の吉原一斉摘発で十数件の店が強制閉店に追い込まれるとか...詳しい話はその週刊誌の記事には載ってなかったからより詳しい情報を知ってる人がいたら俺も聞きたいけど... |
| A. |
ハンドル名:吉原太郎 [お店経営者] 日時:2008/01/16(水) 21:32 |
| | 年末の『吉原炎上』は、時代考証がメチャクチャで見られたもんじゃなかった。 見るなら、映画版がイチオシ。。。。。
火事は江戸の華、吉原は20年に1回の割で全焼したそうな 当時、火事がでると、幕府から巨額の資金がもらえた上に、 仮場所での営業は、現在の門前仲町(深川)あたりだから 辺鄙な吉原より、ずっと客の入りがよろしかったそうです。 http://www.yoshiwara.tv/history/main.html 第八回 吉原「火の用心」
浄閑寺については、同じページにある「浄閖寺」をクリック 最寄駅は、東京メトロ日比谷線三ノ輪駅、エキソバです。 「苦界」で思いだすのが、区議会選挙、 私の先輩が「苦界から区会へ」をキャッチにして台東区議会選挙に立候補、 応援に来てくれたのが、故渥美清、野坂昭如、永六輔といった面々で 永さんの独特な声が流れたら、すごい人だかり 結果。。。。元からして泡沫だけど、応援がすごすぎて 肝心の候補者が、かすんでしまい、最下位落選(爆)
>明治や江戸どころか10年位前の今頃の時期でしたっけ >火事になった店あるんでよね この15年間、消防自動車のお世話にはなってないぞ、 救急車ちゅうか霊柩車というか、冬場には何度かある(笑) これは、多分だけど、新橋駅前にあった店の火事じゃないかな。 店の中は迷路みたいで、電気が切れてマックラ 煙にまかれ逃げ遅れたお客さんが2人死亡(合掌)
>警視庁の吉原一斉摘発で十数件の店が強制閉店に追い込まれるとか... 強制閉店は間違い、正しく言うと「自主閉店」 稀にだけど、ガセじゃない記事もありまっせ ネタの出所は秘密、私は口が堅いから男の記者には喋らん、 しかし、女記者の美人度が高いと、ついつい喋ってしまう。
>足抜けすると水車に縛りつけられて水攻めにされたり、百叩きにされるそうです。 駿河攻め、蝋燭あぶり、塩水のませ、・・・・・ 石原良純主演「おんな犯科帳 江戸拷問刑罰抄」 ちなみに、石原良純の役は、折檻を受ける女を救う役です。
最後に『東京大空襲』、昭和20年3月10日の出来事、太郎 5歳の時 千束4丁目は丸焼け、仲ノ町あたりから日暮里の駅がよく見えた だけど、道ひとつ隔てた千束3丁目には戦火から免れた家が多かった。 |
| A. |
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ハンドル名:口入れ屋 [お風呂利用・2桁] 日時:2008/01/17(木) 01:53 |  |
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| | 真冬の火事は吉原じゃなかったですか… よく覚えてないんだけど朝日とか読売とかの新聞の3面に記事が出てたの見た覚えがあります。写真も出ていて火事になった店からそのまま逃げ出した客が寒空の下、全裸に腰にバスタオルをまきつけてパトカーか救急車か消防車かの横で震えてたのを覚えてますよ。小雪か雨が降ってた時で寒そう!でも助かっただけマシだなと思ったのを覚えてるん。 プレイ中に火事になったら服なんか着てないで裸のまま飛び出さないと助からないということが良く分かった。ソープ行って火事で服着てたために逃げ遅れて死ぬのと小雪が舞う中をバスタオル一丁で飛び出して末代まで恥ずかしい思いをするのじゃどちらがいいかな? |
| A. |
ハンドル名:ぷりん [お風呂利用・2桁] 日時:2008/01/24(木) 21:45 |
| | でわでわ・・・ さくらんはどうですか? 遊女物語ですので、泡姫の回答をお待ちしてます! |
| A. |
ハンドル名:さとやん [お風呂利用・3桁] 日時:2008/01/25(金) 00:41 |
| | そういえば口入れ屋さんの仰るようなことが名古屋であったらしいです。 普通のスーパー銭湯ですが、、、。 でもそのようなことを気にするならいっそ行かなければいいと思います。 事実プレイ中に地震が来た話を2回聞きましたし(一回は自ら体験) まあそうなったらなったで覚悟を決めることでしょうか。 助かっただけマシ?末代までの恥をかいても? 自分の立場なら死んだ方がマシかも? まあそんな暗いことは考えないようにしましょう。 |
| A. |
ハンドル名:ファントム [お風呂利用・3桁] 日時:2008/01/25(金) 22:50 |
| | 横レス失礼いたします。 口入れ屋殿、まさに究極の選択ですな(笑)。うーん・・・結局そのまま焼け死んでも末代まで笑い物になると思うので、私はやっぱスッポンポンでも逃げるだろうな。もちろん姫と一緒にね。 |
| A. |
ハンドル名:口入れ屋 [お風呂利用・2桁] 日時:2008/01/26(土) 00:44 |
| | いやいや…さとやんさん、そうは言っても実際にソープで火事になるというのが最近ありましたよね? 沖縄だっけ? ネットで読んだ記事だと姫の一人は電線に掴まって逃げて助かったとか。一方で死んだ姫も一人いたということなんで、ちょっと洒落にならないと思いまして。 でも火事の原因は室内で七輪使って焼肉やってただとか… まあ、逃げたモン勝ちなんでしょうねえ。 |
| A. |
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ハンドル名:匿名 [その他・男性] 日時:2008/01/27(日) 09:37 |  |
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| | ソープやったか? 風俗のニュースはあった気がするけど…たしか未成年の娘だよなぁ、亡くなったの |
| A. |
ハンドル名:永井荷風 [お風呂利用・2桁] 日時:2008/01/28(月) 15:05 |
| | 松葉屋の女将の書いた『吉原はこんな所でございました』(福田利子著、社会思想社、教養文庫、1993年初版)によると、吉原は「明治に入ってからでさえ、8回も火災にあい、大正12年の関東大震災のときには廓(くるわ)は全焼し、昭和20年3月10日の東京大空襲では根こそぎ焼き払われ、大勢の死者を出して、今度こそは全滅かと思われました。でも空襲のあとや戦争に敗けてからも、復興するようにとお国の命令が、どこよりも早く届いて、そのたびに、見事に生き返ったものでした」といいます。
松葉屋とは歌舞伎で吉原が舞台の時は、必ず背景に描かれる吉原を代表する「引手茶屋(ひきてぢゃや)」。昭和33年の売春防止法以降は料亭。
引手茶屋とは大見世(おおみせ、最高級の遊女屋)に向かう客を迎え、芸者、幇間(ほうかん、=太鼓持ち)を呼んで客をもてなす所。吉原は、この引手茶屋、貸座敷(遊女屋)、芸者屋の三業から成り立ち、それぞれ組合を作っていました。貸座敷には大見世、中見世(ちゅうみせ)、小見世(こみせ)の等級があり、大見世には引手茶屋を通さなければ上がれませんでした。
この本には女将が実際に見聞した、昭和初期からの吉原の興味深いことがたくさん書かれています。例えば、
当時はほとんどが貧困のために身売りしてきた娘で、特に昭和恐慌は悲惨だったようです。農村でも食べ物がなく山へ木の実を拾いに行ったとか、畳を見たのも吉原に来て初めて、むしろではなく綿の入った蒲団に寝たのも吉原に来て初めてだったとか。山形県下で2千人あまりの娘が娼妓になり、年頃の娘が消えた村があったとか。「私の知っている限りでも、気立てのよい優しい娘が随分いました。そういう娘たちは、親のために借金を背負っていながら、故郷の親兄弟のことを折につけ心にかける親孝行者でした。……親を大切にすることが子どもにとって一番大切なことなのでした。今とはまるっきり逆なところがありますね。……ですから、親のために身売りしても、決して親を恨んだりしませんし、そんなところが客である男の人たちにけなげで優しい印象を与えていたのかしら、なんて思うんです。」
そういう娘が業者の食い物にされないよう監視の目を光らせていたのが警察で、周旋人が娘を吉原へ連れてくる時は、親の承諾書、戸籍謄本、身を売る理由を述べた書類を三つそろえて貸座敷に出さねばならず、貸座敷の方はそれが間違いないか、地元の警察に照会し、地元の警察は照会があると実家に行って事情を確かめ、間違いがないとなると、それを証明する書類を貸座敷に送ったと言います。これが終わると病院で健康診断をし、関連書類を全部そろえて警察に提出し、その許可が下りて初めて吉原で働くことができたそうです。
また年配の人には、子供の頃おやじに吉原に連れて行かれた、という話をする人がよくいたそうです。父親に手を引かれて浅草に行き、芝居を見たり、お汁粉を食べたりしたあと、吉原の貸座敷まで連れて行かれたところが、お父さんが急にいなくなって、どうしようかと思っていると、そこへ、おばさん(多分、花魁の下働きをする人)が現れ一緒に遊んでもらったそうです。
さらに当時の妻は、例えば、病気になって夫の相手のできない時などは、「主人をよろしく頼みますね」と電話をかけてきたりしたといいます。そういう場合には、ご主人を馴染みの花魁の所へ連れて行ったそうです。
そもそもこの女将は松葉屋の跡取りとして3歳の時、当時の松葉屋の女将のところへ養女に入ったのですが、その養母の女将は父親の愛人だったといいます。そして折目折目には子供だった彼女を連れて父親と本妻のもとに挨拶に行っていたそうです。
中見世にいた光代さんという方の話によると、初めて彼女が客を取った時は、「初見世」と書いた奉書紙が写真に下げられ、客引きが「旦那、初見世の妓(こ)がいますよ」「今日が初日の正真正銘の初見世。うぶな妓なんで、旦那のような立派なお人でないと、ねえ、旦那、一つ面倒みてやってくださいよ」と前を通る客に声をかけたといいます(文脈からすると処女だったようす。大半の娘が処女だったと思われる)。初見世では客に祝儀を出させたそうですから、通常の料金よりも高いプレミアムがついたわけです(これを読んでドストエフスキーの『罪と罰』のヒロインであるソーニャが、貧しい家を助けるため、娼婦となって初めて客を取った場面を思い出すのは私だけでしょうか)。 初見世に出る前に、光代さんはおばさんからいろいろ教わったそうです。客に絶対惚れないこと、しかし客には惚れてもらうこと、特に床惚れは大事だから、お床上手になってお馴染みさんをたくさん作ること、そのための実技指導等々。
この本の存在を私に教えてくれたのは12年ほど前、吉原ソープ「大奥」にいた泡姫で、この本を読んで(あるいはひょっとしたら来てから読んだのかもしれませんが)東北の蔵○あたりから来たという彼女は、私が歌舞伎を見に行き、着物ももっていると知ると、一緒に着物姿で行ってみたいようなことを言っていました。和風好みの彼女は着物で出迎えるソープを捜して「吉原中捜しても二軒しかなく、ここならがんばれるかと思って」大奥にしたといっていましたし、歌舞伎も好きそうでした。しかし当時まだ東京の歌舞伎座に行ったことのなかった私は、いくらかかるかよくわからず、また東京までは遠方からわざわざ新幹線で行かねばならないので、即答できませんでした。今から考えると惜しかった気がします。多分、歌舞伎を見に行くような友人もいないので、同好の士を求めていただけだと思いますが。
松葉屋を外から見物していたら、はとバスの松葉屋「花魁ショー」定期観光コースの団体客が来たので、それについて当日券を買って入りました。ショーでは、客の中からお大尽役を募って着物を羽織って舞台に上がってもらい、花魁の歩き方(八もんじ)や客との儀式的なやりとりの実演、振袖新造の踊りなど、昔の風俗習慣を見せました。今ではこのツアーもないようです。
さらに吉原を散策すると、「三浦屋」というソープが目につき、びっくりしました。三浦屋は、歌舞伎の代表的演目の「助六」の舞台だからです。好奇心に駆られ試しに入ってみると、内容は普通のソープだと思いますが、助六の調度品が部屋に置いてありました。その後東京に行った折りに数回入ってみて、女の子に聞いても、一人だけがかろうじて店の名前が歌舞伎と関係あることを知っており、角海老グループがその名を買ったことなどを教えてくれましたが、あとの子はまったく知りませんでした。
その後、松葉屋がマンションになってしまったと聞き、それから吉原には足を運んでいません。多分、大正9年生まれの女将が亡くなったのでしょう。非常に残念です。戦前までは吉原に江戸時代の風情が残っていたと書いてありましたが、ついにその最後の名残も消えてしまいました。 |
| A. |
ハンドル名:吉原太郎 [お店経営者] 日時:2008/01/29(火) 14:15 |
| | >その養母の女将は父親の愛人だったといいます
旧吉原では、そんなこと日常茶飯事。 俺の生家も吉原遊郭、じいさんのオメカケさんが4人、オヤジのオメカケさんが3人、同じ屋根の下にいた。 小さい頃は、日本って国は「一夫多妻制」だとと信じてたし、正月のお年玉はうれしかったことを覚えている。 吉原仲之町にあった家は広かった、跡地は12筆に分筆できたほどだ。 某チェーンの社長さんなんか今でもオサカン、5人はいると思う。 俺も負けてはいられない。
>吉原を散策すると、「三浦屋」というソープ この店には、高さ1b・直径2bの巨大なお釜を浴槽にしている。 これだと、潜望鏡がチョット・・・・・むずいかも? |