てんねん再び
20129
  2012/09/26(水)  優しい人
久しぶりに、小牧のH社長と会う。社長の行きつけの寿司屋さんへ連れて行って下さった。新しい会社の話等聞く。
夜、一緒に仕事をしたり、話したりの、もんすたヒロさんとメール、京子お母さんには、墓参り後帰ってからは、毎日2度は電話する。

この前、Dちゃんに山梨に連れて行ってもらった時は、数時間だけ、山梨から、京子お母さんを尋ねて、一緒に食事だけして帰宅。

このごろは、炎さん(正狩炎先生)に、毎日のように、支援センターや福祉の事について、アドバイスをもらっていたから、市役所等色々話をききに行く。本当に、優しい人で、温かい人で驚くし、私も炎さんみたいになりたいなと思う
私の周りは、肩書きがあっても、優しい人も多いな〜と思う。


  2012/09/13(木)  ちょっとひとりごと
毎日毎日早くしなくちゃ、早くしなくちゃ…京子お母ちゃんが、本当に何もわからない位痴呆が進んでしまわないように、早く助けなくちゃだけど、つたない私の言葉や、小さな脳ではなかなか人様に伝えるのに時間はかかるしもどかしさに自分が情けなくて。
帰ってきてからも、パニックで、体力がもうあまりないからと、横になっていても、京子お母さんの時間は感情鈍麻の私と違って確実にダメージを受けたり進んでしまってるかも知れないから早く…
あ、そうだ…そうだ!鈴木邦男先生は、あの時私に、短い質問をした!普通犬山といえば、犬山城…だけど、明治村だと。あの時、もし私の事を良くも悪くも周りから話を耳にしていたとして…だけど、先生は、私にどれ位の障害があるかも、どれ位お母さんを好きかも…全てにとはいわなくても、普通の人様より、わかり知る事ができたのでは。こちらの全てから…心をコンコンとノックしたのか… 話す力がたけている先生は、きっと人の見極めや、聴く力も人一倍以上に違いない。だから知廉先生の事柄に関わるといつも私は、何故だと思う位、本当に思う位不思議な事ばかり起こる。
鈴木邦男先生に、お手紙を書こう。 きっと鈴木邦男先生は、有名な方だという位は私にもわかるし(だって殆どテレビを見ない私なのに名古屋地区で放映されているテレビ番組でも見たことあるぐらいだもの、やしきたかじんさんのテレビ番組だけど東京では見れないらしい)多忙な方だと思うし、失礼かもしれないけれども、失礼にならないように気をつけて、ありのままの現状を伝えてアドバイスをいただけたらラッキー位だと。お母さんを早く助けたい事柄を書こうと思う。
京子お母さんが最期まで人を信じられるように。心の綺麗な京子お母さんが、悲しい勝利を迎えないために。私にできる限りの事をするしか私にはわからないから。


  2012/09/07(金)  見沢知廉先生の命日
今日は見沢知廉先生の命日。本当は私は出席する予定ではなかった。折角、京子お母さん(以下略お母さん)が色んな人に会えるのだから。認知症には、色んな人と会話できる方がいいと私は思ったからだった。だがいつも何かが起きる。
昨日まで♭≠ウんがお母さんの家まで迎えに来てくれて帰りも送って下さるはずだったが、急にその話がなくなって、お母さん、また気落ちしてしまうのではと昨日まで思っていた…が!流石お母さんは私に、「自分が迎えに行くと言ってたのに…急に行ったら、あの人ぶったまげるわね、きっとと笑った(笑)○○さん(私)あんたがいないと私1人では行けないよと言った時、私も驚かすの好きだし♪勿論お母さん私連れてくよ♪といい駒込駅までお母さんと行き、駅で青山フラワーマーケットがあったので、また鋏みを忘れた私は、確かここの鋏持ちやすくて使い勝手いいんやわ♪と鋏と珍しい色のダリア等購入してタクシーに乗りお墓へ。


映画監督の大浦信行さんや鈴木邦男先生達が記念撮影をしていた。私は今回お母さんが、墓参りに行けなかったら、私は一生後悔するだろうと思っていた。お母さん色んな方と話せるし邪魔しないように私は知廉先生のお墓の前に行き、買ってきた花達を少し綺麗に皆の入れた中に混ぜていれた。お母さんには伝えてあったけど心配して 見に来てくれた。お母さんと再び席に戻ったけどやはり色々な人と話して欲しくて私は煙草を吸いに。監督さんが見えたので京子お母さんの事等相談した。お母さんの所へ戻ると、横並びにお母さんを挟んで鈴木邦男先生が座ってみえた。私は会話の邪魔にならないように、大人しくしていたら、邦男先生がこちらを向いたので私は「お母さんお母さん、くにさんがお話だって」と伝えると先生は違うという仕草をして私に「君は愛知だったね」と犬山市出身ですと答えると、「明治村」がある所だよねと言われ、私は目が丸くなった。そして、後ろにいた高○さんがお母さんが元気なうちに…と言った際、思わず私は、お母さんはまだ25年あるみたいな事を言ってしまった時邦男先生はいきなり拍手をした!びっくりしていると邦男先生は、日本で百歳を越えている人達は6万人だと話した、また驚いた!短い言葉から意味を読み取り尚且つ適切な言葉を邦男先生は言われる。見沢の生まれかわりだとも。知廉先生が尊敬し邦男先生に惹かれた気持ちがわかったのと同時に、やはり以前先生を見た時他の人とオーラの色が違っていた事を思い出した。


  2012/09/06(木)  いのがしいからメモ
今日は、情けないことに、ふいに、お母さんの家に遊びに来て下さった、まさかりほのおサンに、自分の薬を忘れてきた私は、病院へ連れて行っていただくことに。
病院があいてなく、まさかりほのおサンのお薬をわけていただく。
まさかりサンと、南極館等連れて行っていただいた。
お母さんと私はピンクのペンギンのぬいぐるみ、まさかりサンには、水色のペンギンのぬいぐるみを、せめてものお礼で、売店で購入した。まさかりサンは物知りで色々教えていただいた。

以前何度か京子お母さんに、養女にきてくれたらいいなと、言われていた。もちろん半分以上冗談で。けれど真面目に考えるようになっていた私は、色々アドバイスをいただいて、まさかりサンの運転で帰路に。
とても心の綺麗な方だなと思った。


  2012/09/05(水)  忘れないようにメモ
目まぐるしい位、ここ数日ドタバタする。私がトロいせいなのか、東京へ来て京子お母さんといて、会話が楽しいからか、わからないけれど。とりあえず後から記憶を掘り起こせるように、メモ帳代わりに書いておこう…。明日は、ちれん先生の命日だ。
今日は、明日に備えて、色々しておこう。イオンで、お母さんと夕方お寿司を食べて、お母さんと美容院へ。お母さんが美容院で髪をカットしてもらっている間に、前に本で読んだ痴呆にいいイチョウ葉と、お魚のサプリを買い物に。
その後、お母さんは、髪の毛を染める色はコーヒー色がいいときいて、一緒に一度美容院を出て、毛染めの液を買いに。購入後、美容院へ戻り、美容師さんにお願いする。
命日に、本当は私は行くのを諦めて、お母さんに代わりにお願いする事を半分以上決めていた。8月末まで私は寝込んでいたから。9月3日までに、私が東京へ行けなかったら、お母さんお坊様に必要なお金送るから、行ってきてと。
けれど、何とか動けたのと、私が車の免許の更新に行って、すんなり免許の更新が出来ず、夕方になり、お母さんお金送らなくちゃと思っていたのに、近所の郵便局は既にしまっていた。もう行くしかないなと思って、新幹線に飛び乗った。


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